金沢市立中村記念美術館で特別展「
技をつなぐ 金沢の工芸」を鑑賞してきました。

館内喫茶室にて諸江屋の生落雁「万葉の花」をいただきました
金沢で工芸が盛んな理由のひとつは、1583 年より金沢を治めた加賀藩主前田家が、武士や庶民に能楽や茶道などを奨励したことにあります。
武士の時代には刀や馬具など武具にも象嵌や蒔絵などが施され、武士の時代が終わり明治以降においても能楽や茶道などの芸能文化が受け継がれ、その際に使われる衣装や茶道具、小物類などの伝統工芸品が作られてきました。
そして現代の今でも伝統工芸品は身近に人々の暮らしの中に溶けこんでいます。
子どもの頃から日常の中に九谷焼や輪島塗の器があったり、お茶と一緒に和菓子を食べたりという生活が普通のことと思っていましたが、文化的に恵まれた環境で生まれ育ったのはありがたいことだと大人になって感じます。
(さらには親戚に茶道、華道の先生がいて習ったり、叔母が呉服屋さんだったので加賀友禅など目の保養をさせてもらっていました)

お抹茶碗は飴釉が特徴の大樋焼
金沢の工芸の技が次々と変わる時代背景のもとで受け継がれた流れ。
●江戸から明治へと時代が移り変わり、塗師(ぬし)や白銀師(しろがねし)などの職人たちは武家からの注文がなくなり、殖産興業としての産業製品の製作に従事するようになる。
●今から100年前の大正14年(1925)、金沢市意匠図案研究会が発足。
意匠図案の向上と金沢の産業の更なる発展を目的とし、当時の職人・作家・販売店舗の多くが在籍した。
会が昭和8年(1933)に開催した展示会は何度か名称を変えつつ現在の金沢市工芸展へと続いている。
●終戦の翌年(1946)には金澤美術工藝專門學校が開校し、現在の金沢美術工芸大学に。
(校名に「工芸」が付いているところが金沢ならではの特徴)
開校当時は旧陸軍兵器庫の赤煉瓦造建物を校舎としていた。(現在の石川県立歴史博物館)
●平成元年(1989)には市制百周年を記念して、金沢の伝統工芸の後継者養成と工芸振興をめざす研修機関として金沢卯辰山工芸工房が設立された。
●金沢美大や工芸工房では全国からの学生・研修生が学び、多くの作家が巣立っていった。
自身が作家として活躍するのみならず、金沢の工芸の技を師匠から弟子、またその教え子へと伝えている。
多種多様な工芸の技は茶道具の制作において不可欠

左上:米田孫六 牡丹文蒔絵堤重(江戸~明治 19世紀) 野々村仁清の牡丹文徳利
右上:桜谷金美 加賀象嵌花生 (昭和 20世紀)
左下:初代山川孝次 夜桜菓子鉢(江戸~明治 19世紀)
右下:米沢弘正 小鼓謡本熨斗押(明治~大正 20世紀)
技を次世代へ継承しようとする金沢市(行政)の意志と、愛で応援しようとする市民の気持ちがあってこそ、技がつながれていくのだと思います。
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posted by いっこさん金沢暮らし at 16:00|
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