予定では4月に、今年度の開講講座として行われるはずでしたが、新型コロナの影響で延期されたのです。
開講講座だったということで、二部構成でした。
まずは基調講演「金沢城の特徴と魅力」
講師は萩原さちこさん(城郭ライター・編集者、公益財団法人日本城郭協会理事)
以下、受講メモ。
●金沢城は、多種多様な石垣が野外美術館の展示のように城内に点在する「石垣の博物館」
技術面だけでなく、色紙短冊積みに代表される、独自性と美意識の現れが見られる石垣
●織田信長以降、豊臣秀吉の家臣らが城に石垣を採り入れた(そのため、石垣は西日本に多い)
●明暦の大火後、江戸城の天守台の再建を担当したのが5代藩主・前田綱紀だった
大事業を任されるということは築城技術が高い証拠
●鉛瓦、海鼠壁、唐破風付きの格子窓など、建造物に見られる美意識と格へのこだわり
●鼠多門と鼠多門橋の歴史
宝暦9年(1759) 金沢大火(宝暦の大火)により金沢城の大半が焼失したが、鼠多門は残存
明和2年(1765) 鼠多門橋を架け替え
文化9年(1812) 鼠多門を修理
明治10年(1877) 鼠多門橋、老朽化により撤去
明治16年(1883) 玉泉院丸に陸軍監獄署が新築され、鼠多門は陸軍の倉庫として使われる
明治17年(1884) 鼠多門が焼失
明治31年(1898) 鼠多門堀が埋め立てられる
●1615年以降、基本的に新しい城は造られなかった
例外として、徳川幕府が必要とした場所(敵対する大名の領地となり、江戸への街道途中など)には築城された。また、城の改修には幕府の許可が必要だった。
鼠多門橋から向かって右(南側)の鼠多門の櫓と石垣
左(北側)
基調講演に続いて、シンポジウムとして萩原さん、川元傳氏(石川の伝統的建造技術を伝える会 会長)、小倉正人氏(北國新聞社論説委員)の鼎談がありましたが、とりとめのない話に終始して「金沢城鼠多門の謎」が何なのかすらもわからないまま、、
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ラベル:金沢城